劇場版第1作『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』と、1998年7月18日の記憶。

劇場版(初期:1998-2002)

1998年の夏。前年の「ポケモンショック」による放送休止を乗り越え、ようやくたどり着いた映画館のスクリーン。冷房の効いた暗い劇場の中で、私たちは初めて「映画のポケモン」に出会った。
同時上映『ピカチュウのなつやすみ』の底抜けに明るい世界から一転、本編が始まった瞬間に空気が張り詰めたあの感覚。スクリーンから放たれる圧倒的な問いかけに、子どもだった私たちはただ息を呑んで見入るしかなかった。


404 NOT FOUND | Pocket Memory:1997年からのアニポケ・タイムカプセル

スクリーンが問いかけたもの

「私は誰だ。ここはどこだ。誰が生んでくれと頼んだ。誰が作ってくれと願った。」
本作の根底に流れるのは、首藤剛志氏の脚本が提示したあまりにも重く、そして根源的な「自己存在への問い」である。1996年に世界初の体細胞クローン羊「ドリー」が誕生し、生命倫理やクローン技術が現実の社会問題として議論されていた時代背景の中、本作は「人間のエゴによって作られた命(コピー)に、生きる価値はあるのか」という哲学的な命題を、子ども向けのエンターテインメントのど真ん中に投げ込んだ [4]。

ミュウツーは、自らの存在意義を見出せない絶望から「逆襲」という名の破壊衝動へと走る。彼が作り出したコピィポケモンたちと、オリジナルであるサトシたちのポケモンが激突するクライマックスは、ポケモン映画史上最も痛ましく、そして美しい。ミュウツーによってポケモンの技を封じられ、ただ互いの肉体をぶつけ合うだけの泥臭い乱闘。ピカチュウが、自分と同じ顔をしたコピーのピカチュウから何度ビンタを受けても決して反撃せず、ただ悲しげに耐え続ける姿は、いかなる理屈やイデオロギーよりも雄弁に「争いの無意味さ」を訴えかけていた。コピーもオリジナルも、流れる血も感じる痛みも同じなのだと。

そして物語は、サトシの自己犠牲という衝撃的な展開を迎える。石化してしまったサトシを前に、オリジナルもコピーも関係なく、すべてのポケモンたちが流した「涙」。言葉を持たない彼らの涙が光となり、命を呼び覚ますという結末は、決してご都合主義の奇跡ではない。「生きたい」と願い、他者の痛みを悲しむ心があるのなら、作られた命であろうと本物であろうと、そこに明確な境界線など存在しないのだという、生への絶対的な肯定である。大人になった今だからこそ、ミュウツーが最後に辿り着いた「自分が誰であろうと、生きているという事実だけはここにある」という静かな悟りが、より深く胸に突き刺さるのだ。

🕰️ 1998年7月18日 のタイムカプセル

あの日、私たちが映画館の外で生きていた世界は、どんな空気に満ちていただろうか。

当日の重大ニュース

  • 橋本龍太郎首相の退陣表明(1998年7月13日):公開直前の7月12日に投開票が行われた第18回参議院議員通常選挙において、自由民主党が歴史的な大敗を喫し、翌13日に橋本龍太郎首相が退陣を表明した [1]。バブル崩壊後の長引く不況や金融不安の中、日本社会全体が大きな閉塞感と転換点に直面していた時期であった。
  • サッカー・フランスW杯、開催国フランスが初優勝(1998年7月12日):日本代表が悲願の初出場を果たしたことでも記憶されるフランス大会。その決勝戦が公開の数日前にあたる7月12日に行われ、ジネディーヌ・ジダンらの活躍により、フランス代表が絶対王者ブラジルを3-0で破り初優勝を飾った [1]。世界中がサッカーの熱狂に包まれた夏だった。
  • 「和歌山毒物カレー事件」の発生(1998年7月25日):映画公開からちょうど1週間後の夏祭りで起きたこの事件は、日本中に大きな衝撃を与え、連日メディアで報道されることとなった [1]。1998年の夏は、社会を揺るがす重大なニュースが立て続けに起きた季節でもあった。

今週の音楽チャート(トップ3)

  • 1位:HONEY/L’Arc〜en〜Ciel
  • 2位:浸食 〜lose control〜/L’Arc〜en〜Ciel
  • 3位:翼になれ/V6
    (1998年7月27日付 オリコンシングルチャート)[2]
    この年の7月8日、L’Arc〜en〜Cielは「HONEY」「花葬」「浸食 〜lose control〜」というシングル3枚を同時リリースするという前代未聞のプロモーションを行い、音楽チャートを完全に席巻した [2]。当時の音楽業界はミリオンセラーが連発するCDバブルの絶頂期であり、街中やテレビの音楽番組からは常に彼らの楽曲が流れていた。

街で流行っていたもの

  • スケルトンブームの到来:1998年5月にAppleから発表された初代「iMac(ボンダイブルー)」が世界に衝撃を与え、あらゆるプロダクトで中身が透けて見える「スケルトンデザイン」が大流行した。ゲームボーイやたまごっち、PHSに至るまで、当時の若者たちはこぞって透明なガジェットを持ち歩いていた。
  • ベストアルバムブームとミリオンセラー:GLAYの『REVIEW-BEST OF GLAY』や、B’zの『B’z The Best “Pleasure”』(通称・金盤)が数百万枚という驚異的な売上を記録 [3]。とくにB’zの金盤は1998年5月に発売され、7月には当時の歴代アルバム売上日本記録を塗り替えるなど、音楽が圧倒的な熱量を持っていた時代だった。
  • 「ポケモンショック」からの復活と映画化の熱狂:1997年12月の放送休止から、1998年4月に奇跡的な復活を遂げたテレビアニメ『ポケットモンスター』。それだけに、初の劇場版公開は子どもたちにとって単なる映画以上の特別な意味を持っていた。映画館では入場者プレゼントとして特別なポケモンカードが配布され、同時上映『ピカチュウのなつやすみ』の和やかな雰囲気と、本編の重厚なストーリーのギャップに、当時の小学生たちはかつてない映画体験を味わったのである。

あの日のスクリーンを、もう一度。

「風といっしょに」の優しいメロディが劇場に流れ、ミュウツーたちが空の彼方へ飛び去っていくのを見上げたあの夏。
自分が何者であるかという問いは、大人になった今でも完全に答えが出るものではないかもしれない。しかし、迷いながらも生き続けることそのものに意味があるのだと、この映画は教えてくれた。
配信サービスやBlu-rayで、もう一度あの日のスクリーンに帰ってみよう。あの頃分からなかったミュウツーの孤独が、今は少しだけ理解できるかもしれない。


Sources(出典リスト)

[1] Category:1998年7月 – Wikipedia:https://ja.wikipedia.org/wiki/Category:1998%E5%B9%B47%E6%9C%88
[2] オリコン週間シングルランキング 1998年7月27日付:https://www.thursdayonion.jp/bestten.php?rb=0&re_rk=or&re_ymd=19980727
[3] 1998年の音楽 – Wikipedia:https://ja.wikipedia.org/wiki/1998%E5%B9%B4%E3%81%AE%E9%9F%B3%E6%A5%BD
[4] 劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲 – Wikipedia:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%87%E5%A0%B4%E7%89%88%E3%83%9D%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC_%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%82%A6%E3%83%84%E3%83%BC%E3%81%AE%E9%80%86%E8%A5%B2

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